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2013年04月17日

Be a Commentator!_J-12

 「体罰」に関するニュースが後を絶たない。賛成派反対派さまざまだが、賛成も反対も本来はない。
 「体罰」と「セクハラ」はイコールだと思う。例えば高田純次が発した卑猥な言葉は許せても、宅八郎が発した同じセリフは許されない。この違いは、“受け取り側の受け取り方”でしかない。受け取る側が「セクハラだ」と感じたら、それは100%セクハラだ。一方でたとえ同じセリフだとしても、「セクハラじゃない」と捉えられる場合もあり、それは発した本人の人柄であり普段のキャラクターであり日常の信用関係に他ならない。
 その論理で行くと「体罰」というものが見えて来る。体罰に対して賛成・反対というのは愚かな時間の消費でしかなく、“感じる側がどうとらえているか”が問題なのである。
 体罰教師の多くや賛成派は『愛のムチ』という言葉をよく使う。しかしこれを“愛”とは感じずに“体罰”と感じるのならば、セクハラ同様、犯罪的な暴力でしかなくなる。
 ——体罰とは何か。
 それは受ける側が、“暴力としか感じない暴力行為のこと”である。体罰=暴力と捉えられる以上、そこに言い訳をすることはできない。つまり、“ハラスメント”でしかないのだ。“体罰”という言葉が教育の一環に組み込まれることは有り得ないと思うのは自分だけだろうか。

投稿者 西原真志 : 2013年04月17日 21:28

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