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西原士誠第一回監督作品

『シスとジェダイの戦い(2014)』(2m42sec)


*音声と共にご視聴ください。

西原士誠
2007.02.03東京生まれ

投稿者:西原真志  2015.06.21

21st,Sep.それは狂うほどの歓喜

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You are sexy.
You are cool.
You are clever.
You are dandy.
You are president.
You are cute.
You are my star.

Happy Birthday Masashi.
You are our angel.

GAGA

投稿者:西原真志  2012.09.13

村上隆さん、さすが

ーー村上隆氏の朝日新聞インタビュー記事より。

「『クール・ジャパン』なんて外国では誰も言っていません。うそ、流言です。日本人が自尊心を満たすために勝手にでっち上げているだけで、広告会社の公的資金の受け皿としてのキャッチコピーに過ぎない」
 さらに、
(日本政府が「クール・ジャパン」のアニメや玩具、ファッションなどを海外を売り出そうとしていることについて)「それは、広告会社など一部の人間の金儲けになるだけ。アーティストには還元されませんし、税金の無駄遣いです。今やアニメやゲームなどの業界は、他国にシェアを奪われて、統合合併が相次ぎ、惨憺たる状態。クリエーターの報酬もきわめて低いうえ、作業を海外に下請けに出すから、人材も育たない。地盤沈下まっただ中です」

 よくぞ言ってくれたと思う。
 政府をはじめ、産業や観光など、役所の各部署に巣食う企業や人間がどれだけ多いか。売るモノもその売り方も、さらに取り巻きに選ぶ人材の選定も、そのほとんどが機能しておらず、有意義に使われなかった税金が価値のない人々の銀行口座に納められてゆく。
 不景気のせいか、取引の先として一般企業ではなく公的なところに活路を見出す人が増えている。精神論ではなく、志が無いのなら今すぐ去るべきだ。公的機関側の人間も、接待に惑わされず無駄を見抜いて行ける人材以外に、公務員の資格は無い。

投稿者:西原真志  2012.02.24

iPad2

インターネットと携帯電話は、確実に世の中を便利にした。
でもこの利器のおかげで、無駄な時間と労力も相当増えたと思う。
そして僕はiPadを持つに至り、分かっていながら苦しい時間を過ごしている。

投稿者:西原真志  2011.06.29

2011.4.22の夕刊

震災に関する記事の合間に、すごいのが二発。

「事故麦622トン流通」
2008年までに米国から輸入された事故米3155トンが食用として不正転売されていた事件で、食用でない麦622トンも食用に偽装されて流通していたことが判明。伊藤忠商事、双日、丸紅など大手商社6社のうち5社を処分。(農水省22日発表)

「遺伝子組み換えパパイヤ 沖縄で流通」
農水省は21日、未承認の遺伝子組み換えパパイヤが国内で流通していたことを確認したと発表した。流通経路を調べ、生物多様性の保護などを目的としたカルタヘナ法に基づき伐採する。沖縄県内の栽培面積約21ヘクタールのうち約2割が該当する見込み。

こういったことに関わる人には家族がいないのだろうか。自分さえ利益を得ることができればいいのか、もしくは、無理にそうさせられているのか。下手したら殺人罪だ。

投稿者:西原真志  2011.04.23

HEMP!

「麻」の文字を持つ女性は、これまで身の回りに多く存在した。その理由が良く分かるようになった。「麻衣」「麻美」など、”麻”=”HEMP”の力は、日本国でずっと重宝されていた。GHQによって消されたHEMP。日本の歴史を学んでいくと、HEMPが有していた凄まじい力に驚かされる。

投稿者:西原真志  2011.04.18

今、僕たちにできること

いろいろ言われているけれど、日本国内で言えば、まずは東京一極集中の解消。特に山手線内に籍を置く企業の法人税を凄まじく上げて本社をさまざまな場所に散らすこと。人の心にゆとりが生まれる。次に医療。発達により長命になったことは良いけれど、どの業界でもその分だけ老害が増加傾向に。自然の摂理に回帰していく必要が。
今、僕たちにできること。「頑張れ」と応援することや募金をすることでもいいけれど、最重要なのは自分たちのこれからの生活を変えること。原発の代替エネルギーを探すのではなく、原発無しでできる生活を志すこと。自然の摂理に則った商品やサービスにのみお金を払うこと。”安さ”の追求ばかりでは、そこの働き手にも消費者にも苦痛しか残らない。僕らはいま、ふるいに掛けていただくのを、ただ待つしかないのだろうか。

投稿者:西原真志  2011.04.16

2011

2010もありがとうございました!
2011はもっと流麗に頑張ります!

投稿者:西原真志  2010.12.29

双棲

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「我々インド人にとって、ヒンドゥーの音楽は、人間の魂と事物の背後にある魂との関係を歌う。ヨーロッパの音楽は、協和音と不協和音による奥深いハーモニーと、互いに分離した断片の結合によって、昼の世界を表現する。だが我々の音楽は、一つの純粋な、深い、そしてもの柔らかなラーガ(旋律の法則)によって、夜の世界を奏でる。この二つの音楽はどちらも我々を感動させるが、しかし各々の本性は昼と夜、単一と変化、定まったものと不定なものというふうに、永遠に違ったものである」

                    タゴール

投稿者:西原真志  2010.01.27

意外な台風被害

 ただでさえ大雨の中を10分以上も歩いて駅に向かうのもいやだったが、着いてみるとホームの混雑はすさまじく、その時点で心身両方の苦痛は相当なものだった。さらに、湿度の高い人混みの中、遅れている電車をしばし待つことに。「これだけの人が乗るなら、さぞかしギュウギュウになるだろう」という考えは甘く、冗談みたいにすでにぎっしりと人々の詰まった車両がホームに横付けされた。
 非常に強いと言われる台風だから仕方がない。これくらいの我慢は必要だ。そう言い聞かせ乗り遅れないように車内の隙間に潜り込む。日本人の乗客としての能力は高いようで、ホームにいたほとんどがその列車に乗り込んだ。
 車内にはもう隙間というものが一切ないのではないかと思えるほどの満員電車が走り出した。時間調整や赤信号などで列車はたびたび止まる。その度につり革の手がもげんばかりに人々の体重を受ける。ここで鞄を左脇で抱え、右手のつり輪を握りなおしたことが、結果的にあのような出来事につながってしまったのだ。
 台風のせいで徐行運転と停車・発進が繰り返される中、右手で握ったつり輪は身体からどんどん遠くに離れていってしまった。体勢を立て直すのは不可能である。足の踏み場も微妙だ。苦しいポジションながら、それでも我慢して僕は時間を耐えていた。ふと気を許した瞬間だった。
 僕の前に立つ白髪頭のスーツのオッサンのショルダーバッグの携帯が鳴り出した。それは音ではなく、マナーモードで携帯自身が震えていた。その携帯は、バッグの外側ポケットに入れられていたが、なぜそれが分かったのかと言えば、もちろん僕の身体にそのバイブが伝わってきたからだった。しかもその振動は、まるで狙い澄ましたかのように、完全なるポジショニングで僕の股間というか、そのものを直撃していた。
「オ、オジサン・・・、そ、そこは・・・」
 オジサンは気づいているのか気づいていないのか、とにかく身動きがとれない状況は彼も同じで、携帯を取る気配もなかった。僕は腰をずらそうと奮闘したが、股間に与えられる絶妙な振動から逃れることはできなかった。
 おそらく10秒ほど鳴りつづけて第一波が去った。満員電車内は静かだった。誰も僕がこんな目にあっているなんて知らないだろう。数秒間の平静に安心するのもつかの間、すぐに第二波がやってきた。
 バイブ音こそ聞こえないが、僕の股間では元気いっぱいな携帯電話が無邪気に任務を遂行している。オッサンは目をつぶったままつり革を握っている。相変わらず身動きが取れない。罪はないがオッサンに対する怒りがこみ上げる。
「おい、オッサン、何とかしてくれ・・・」
 心でつぶやく。設定コール時間をフルに使った第二波が終わった。かなり先方のつり輪を掴む右手は痛い。足場も狭く不安定。しかも股間には・・・。
 先ほどよりも間隔を開けて、第三波がやってきた。僕の怒りはオッサンにではなく、おそらく同一人物であろう電話主に向けられた。
「超大型台風の朝、つながらないなら着信だけ入れてしばらく放っておけばいいじゃないか! 三回も立て続けにしなくてはならない、そんな重要な急ぎの連絡がおまえに本当にあるのかっ!」
 第四波の攻撃を食らう前に、電車の揺れを利用して腰の向きをすかさず変えることに成功した。思わぬ台風被害に、ちょっと微笑んだ。

投稿者:西原真志  2009.11.10

寝ることの楽しさ

 昨年のいつだかは忘れたが、歌手の中島美嘉に告白されたことがある。ベッドに横たわる彼女が去りゆく僕の右手を掴み、放ったセリフが忘れられない。
 美嘉がベッドにいたのは、激しい地上戦によって負わされたケガが理由だった。彼女に当然、罪はない。僕が野戦病院のような簡易な施設に彼女を見舞うと、美嘉は気丈に振る舞っていた。白い肌の奥深くにたたずむ彼女の強さがその瞳から感じられ、僕はとても美しく感じた。元気であることを確認した僕は、立ち去ろうとした。そのときだった…
「抱いて…」
 それはセクシュアルなものではなく、心の静穏を求めるがゆえのものであると僕にはすぐに分かった。
 ベッドに座る美嘉を、僕は一度だけ強く抱きしめた。

 ときは流れ、昨夜の出来事。僕は見知らぬ大自然の中を一人歩いていた。そこに大きな建物が現れた。ホテルのような、巨大ビルのような、なんの施設だかはわからないが、とにかく近未来的な建造物の中に僕は入った。目の前には何年も会わないかつての同級生や、親戚、亡くなった祖父母もいた。
 僕が山奥のどこかに向かおうとした、そのときだった。誰かが歩く僕の手を強く掴んだ。驚いて振り向くと、僕の手を掴んだのは木村カエラだった。なんでも彼女は「行って欲しくない、もし行くのならば自分も一緒に行きたい」とのことだった。僕は困った。「妻がいるし…」
 僕は一度だけ彼女を抱きしめた。かなり強く抱きしめた…。


 以上の二つの恋物語は、僕の夢の中での出来事である。これらの夢にはどんな意味があるだろう?
 次は誰とどんな風に出会えるのか。寝るのって、楽しい。

投稿者:西原真志  2009.02.09

眠りの先の美女

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 ベッドに仰向けになると、つま先の向こうに女性の肌が見える。
 画中の女性だけど、彼女を直視するよりも鏡越しに見ると、なぜだかより強くドキリとさせられる。

 朝になると家主であるテツヤはいつも、この眠りの先の美女に「おはよう」なんて言っているのだろう。いや、本人作の女性だから、夫気取りでいるのかも知れない。「おい、コーヒー」なんて話しかけたりして。

 これ以上の想像はやめておきます。

投稿者:西原真志  2008.10.28

サイン会

 生まれて初めて、サイン会というものに足を運んでみた。「縄文時代に生まれて」以外の企画としては、初の試みだった。
 場所は、東京駅、日本橋駅近くにある、過去の日本の文豪と呼ばれる作家の作品を見ると必ず出てくる『丸善』という老舗書店。18時半スタートのサイン会会場に、18時半に到着した。
 結構な人数が並んでいた。サインの主は、ドナルド・キーンという、日本文学通であり、谷崎潤一郎、三島由紀夫、司馬龍太郎、安部公房といった蒼々たる作家と深い親交のあった、御歳85歳のアメリカ人。ドナルド・キーンの作品の良さももちろんだけれど、今はもう会うことの出来ない、一度は触れてみたかったと思う人々と触れ合った方である。
 彼等を実際に見つめた彼の瞳を見てみたいと思った。彼等に実際に触れた手のひらに、僕も触れてみたいと思った。だから、わざわざ足を運んでみた。
 10分ほど列に並んだ。先はまだ長い。しかしその長さよりも、なぜか僕の心には「並ぶべきなのか?」という問いが充満した。理由は分からない。
 並んでいた列を、張られた紐をくぐって抜け出した。サインをもらうために並ぶのはやめようと思った。だけど、偉大な彼を一目だけは見たいと思った。
 5mほど離れた場所から、特別ステージを眺めた。ドナルド・キーンが一人ひとりに、丁寧にサインをしていた。
「あの彼が、三島由紀夫と語り、谷崎潤一郎と食事をし、文章としての評価は厳しいものを与えたが、人間として最大限の評価をした司馬遼太郎と共に時間を過ごした生き証人なのか。志賀直哉の肉声も知っている、あの彼なのか」
 帰り道の気持ちは、妙に清々しいものだった。サインはもらわなかったけれど、今日の整理券は、いつまでも持っていようと思う。

投稿者:西原真志  2007.07.28

揺り椅子に揺られて

 揺れ動く。今に始まったことではないけれど、今は特に、自分の感情が揺れ動いている。自分の中での目的地が定かでないと、完全に迷子になってしまうように思う。
 その瞬間の気持ちや感情がどうであろうと、自分はこの道を進むのだという、だから今はこうすべきなのだという強迫観念のようなものが持てるのであれば、それは幸運であると思う。苦しくともすべきと感じることがあり、それが自分の望む着地点に近づけるものであるのならば、立ち向かっていきたい。しかし、感情は常に揺れ動く。すれ違うものすべてに過敏に反応してしまう。そこに隠された意味を探ってしまう。
 こんな気持ちに、何かヒントとなりそうな言葉に出合った。「揺り椅子は、腰を掛けたその状況によっては前向きな意味を持つ。しかし、どんなに揺れ動いたとしても、その椅子は我々をどこへも運ばない」。
 揺れ動く感情にさんざん揺さぶられながら、結局は自分で進んでいくしかない。その方向は、自分でしか見出せない。日々、誰かや何かに与えてもらうことは、答えでなく、ヒントである。いつでも、ヒントは沢山与えられている。そのヒントの一つひとつを、椅子に座ってじっくりと考えなくてはならない。答えを見つけるためでなく、自分の道を歩んでいくために。

投稿者:西原真志  2007.05.10

真夜中の友達

 夜中に仕事をしていることが多い。たまに一服がてら、玄関を出てマンションの廊下で身体を伸ばす。向かいの高級マンションに植えられるライトアップされた木の葉の動きやよく手入れされたピンク色の花々、周囲に高い建物が少なく空が広いため、視線を上げれば星々と見るたびに形や色の違う月が、僕の目に響いてくる。外に出るたびに月は角度と色、そして位置を変えて、時間の経過を教えてくれる。「もうそんなところまで動いたのか」と、宇宙が完全に動いていることを改めて実感させてくれる。
 今夜の月は赤色を帯びたほぼ半月。ずいぶんと明るい。たまに薄く延ばされた雲が赤い月を覆い、早朝の山々に流れる霧のように、主役をおぼろげに隠す。もうそろそろ彼も建物の向こうに沈み、見えなくなる。そして僕も、眠ることにする。

投稿者:西原真志  2007.04.28

机上の旅

 少し弱まったが、ちょっと前の僕のブームに「NHK番組の録画」があった。番組表がボタン一つで画面に現れてくれるので、ボタンを押しながら数日先までの録画をハードディスク・レコーダーに行った。
 録画するのは、NHKといっても番組と呼べるのかは分からない、夜中にやっている音楽系のプログラム。「世界街角散歩」「民族音楽紀行」「名曲アルバム」などなど。これらが意外にいい。いろんな場所を見ながら、その土地の音楽が気ままに流れる。ちょっとした旅行気分に浸ることができる。これだけを真剣に見つづけるにはあまり値しないが、例えば仕事をしながら、画面の片隅でプレイしておくには非常に丁度良い。合間合間で見知らぬ風景を見、その場所に根付いた民族音楽を聴きながら何か作業をする。素敵な映像付きのラジオのような雰囲気。
 今これを書いているのは、「民族音楽紀行」の南米編を流しながら。ブラジルの音楽やアルゼンチンのタンゴが良い心持ちにしてくれる。
 垂れ流されているこれらの番組の方が、お金をかけてつくられたものよりも僕にとってはよほど嬉しい。

投稿者:西原真志  2007.04.18

座右の銘

 キリストの教えに「求めよ、さらば与えられん」という言葉がある。確かに正論だと思う。自分が「こうしよう、こうしたい」と求めない限り、何も実現できない。
 しかし一方で、自分が強く求めるものは欲となり、追えば追うほどに離れていくという危惧もある。実際に自分のこれまでを振り返ると、すべてとは言わないが、願ったり祈ったりしたものほど叶わないことが多かった気がする。結局は“なるようになるんだ”という気持ちになってしまう。
 自分が水滴だとすると、空から地面に落ちた時点で、だいたいの行く先は決められる。あの山からその川を流れ、ここを経由してこの海へと流れ着く。人間はその流れの中で、「あっちの川がいい」「こっちの海に行きたい」と我を張り流れに逆らうから、疲れてしまう。行き着く場所への思いや、そこへたどりつこうとする努力は当然必要だと思うが、大筋の流れは自分で把握しなくてはならない。それは各々、なんとなくでも気持ちのどこかで感じているはずだ。心で素直に感じることは、絶対的に正解なのだと思う。それこそが「自分の役割」であり「生まれてきた理由」なのだとここ数年、感じるようになった。
 7年前に設定し、現在も変わらぬ僕の座右の銘がある。

 「時の流れに身を任す」

 ただ惰性で努力なしに委ねるというのでなく、あくまでも“自分の心に従順になる”と言う意味で、僕はこの気持ちを大切にしている。

投稿者:西原真志  2007.03.31

その進歩はどこまで

 時間に限りのある仕事があると、別のことがしたくなる、ということは先に書いた。今日もそんな時間を過ごしている。
 家をよりすっきりとさせるため、古いプレイヤーを捨ててDVD・VHSハードディスクプレイヤーを買ってしばらく経った。機能の進化には驚く。ボタン一つで数日分の番組表が表れ、その番組を選択すればすぐに録画予約ができる。必要かどうかは分からないけれど、とにかくこの便利さには驚いた。
 加えて家をよりすっきりとさせるため、溜まっていたVHSに録画されていたものをDVDにダビングしまくっている。おかげで相当に収納スペースに余裕ができた。VHSに残されたものには何十年前の番組もあり、当時の記憶などを思い起こしつつ、楽しみながら大掃除を行った。
 VHSと共に何年もしまいっぱなしだったのがMDだ。紙袋いっぱいのMDを久々に引っ張り出し、そちらの整理も行った。タイトルを見て、感慨というか、自分史を眺めるような気分に陥った。これは今すぐに聞きたいと、すぐにどっかにあるはずのポータブルMDプレイヤーを捜した。しかしこれがなかなか見つからない…。「こんなこと今すべきことではない」の思いはありつつも、いくつもの荷物をかき分け押し入れの奥から発見した。しかし今度はアダプターが…。
 意地のおかけが、これまでの歴史に触れることができた。バンドで入ったスタジオでの演奏やライブの録音、テツヤと2人でつくりつづけた楽曲。そしてまたテツヤと録音した2本のラジオ番組。今し方聞き始めたばかりだけど、これらはかなり面白い。当時の光景が目の前に浮かぶ。もう10年前くらい前の自分達が、そこには生きていた。
 その他には、まだMDで録音をしていた際の仕事の取材録音もあった。日付を見ると、2004年の丁度今頃。今は小型のICレコーダーによるデジタル録音で、音も良く処理もしやすい。テツヤとの音楽制作の初期はテープで行っていたが、MDの出現で綺麗な録音が可能になり、感動したのを覚えている。そのMDが今では、使用度ゼロになっている。
 これらの変移を思い返すと、10年後にはどうなっているのだろうと思う。このホームページや縄文時代に生まれてで書いていることも、いつかはきっと、「そういえばこんな手段でこんなものを残していたな」と思うのだろう。
 テツヤと出会って12年目になった。人に受け入れられないものがほとんどだったけれど、これまで一緒に、いろんなものをつくってきた。今日はふとしたことから、そんな足跡に触れることができた。
 干支が一周して、僕らはそれなりに進歩していると思いたい、そして実際に、多少はしていると思う。そろそろ本格的に、人に評価されるものを生み出していきたい。MDを聴きながら、改めてそう思った。
 今夜の仕事は、懐かしのMDを聴きながらすることに決めた。

投稿者:西原真志  コメント (2)  2007.03.02

三つ子の魂は百まで?

 学生時代に定期試験が近づくと部屋の模様替えを無性にしたくなったのと似ていて、今夜中にある仕事をしなくてはならないと思うと、別のことを書きたくなったりする。今夜もそれに乗じて、ヤマザキハウス・ジャポンに4件目のアップをすることにした。
 小学生時代にNHKの「みんなのうた」を見ていて、印象に残った曲があった。一つは『メトロポリタン美術館』で、もう一つは『コンピューターおばあちゃん』。両方ともメロディか演奏なのかは分からないけれど、とにかく自分の体内に大きく響いたのを記憶している。数年前に知って驚いたのだが、先の曲は大貫妙子の作曲、次は坂本龍一の編曲だった。現在も好きなアーティストだが、当然ながら当時は知る由もない。
 中学に入ると同時にクラスのヤンキー系女子生徒から聴かされたのは、イモ欽トリオの『ハイスクール・ララバイ』だった。そのときはフルコーラスを聴けなかったが、イントロの部分など特に言葉にできない何かを感じた。これも数年前に知ったのだが、作曲は細野晴臣だった。その直後に「サディスティック・ミカバンド」で高橋幸宏を聴いた。YMOとしての活動に関係なく、僕はYMOメンバーの楽曲に惹かれていたのだ。振り返ると、不思議でならない。年は重ねていたが、“三つ子の魂百まで”なのだろうか。
 矢野顕子の『東京は夜の七時』というライブアルバムでは、ピアノが矢野、キーボードに坂本龍一、ベースに細野晴臣、ドラムスに高橋幸宏、さらにコーラスに山下達郎、吉田美奈子という、ちょっと前に銀河系軍団と言われたサッカーチーム、レアル・マドリードのような布陣での音に触れることができる。
 彼等の音楽は、現在の日本のミュージックシーンに多大な影響を与えているが、その彼等にも個々に音楽的なルーツがある。彼等の好きな音楽が好きな僕は、やはり彼等のルーツとなった音楽にも強く共鳴を覚える。
 現在においては、当時の彼等のような幅広く個性的能力の集合体はあまり見受けられない。お笑いで言えば「俺たちひょうきん族」のようなものだろうか。音楽でも文壇でも絵画でも、そろそろ強烈なムーブメントが起こるのだろう。なんだかそんな気がする。
 そんなことを思いつつ、仕事をしなくてはとそちらに戻ることにする。

投稿者:西原真志  2007.02.22

ありがとう、ドラえもん

 出産予定日を過ぎたが、もう少し時間がかかりそうな気配だ。今回の出産を待っている間に、蘇った記憶がある。

 僕には10歳下に妹がいる。彼女が生まれたときには、僕は小学校3年生だった。母親の妊娠中についてはあまり深く覚えていないが、母が病院に行った日の夜中の出来事が、今になり鮮明に蘇った。
 小学校3年生の僕にとっては、夜中の2時はまさに深い深い夜だった。さらにその頃、「丑三つ時」の話がクラスで流行していた。この時間帯には幽霊が活動する…。丑三つ時には不思議なことが起きる…。さまざまな恐怖の噂話を、僕も興味津々で聞いていた。
 寝ていた僕が父親に起こされたのは、まさに丑三つ時の2時頃だった。「真志、赤ちゃんが生まれそうだから、お父さんは病院に行ってくるから真志は寝てなさい」。僕は「うん、分かった」とだけ返し、車庫から車が出ていく音をベッドで静かに聞いていた。
 怪奇現象に遭った訳ではないが、その真夜中の独りきりの時間は、まだ10歳に満たない少年には最高レベルの恐怖だった。「やばい、丑三つ時だ…」。静かな闇の中で、これからどんな怖いことが起こるのかに怯え、「ミシッ」という部屋のどこかがきしむ些細な音にも神経をとがらせていた。この時間帯が少しでも早く過ぎ去ってくれるよう、枕元の電気を灯けて掛布団に身をすっぽりと隠してひたすら願った。
 確かその数日前だったと思うが、僕はクラスでサクッチョこと仲の良かった佐久間直樹から恐るべき話を聞かされていた。「ニシコ、今からする話マジで怖いんだけど、聞く?」。そう言われては聞くに決まっている。「今から言う言葉を聞いた人のところに必ず、夜中になると恐怖のオバサンが来て窓をノックするんだって。でも呪文を言えば何もしないで帰るんだって」。「なになに、教えて!」。恐怖のオバサンが来るきっかけとなる言葉というのは、「中国人が刺された」だった。サクッチョはすぐに退治の呪文も教えてくれた。20年以上経った今も、完全に覚えている。「テンシンキアクリョウキョ」。両方ともまったく意味が分からないが、とにかくそんな恐ろしい話を聞いてしまっていた直後だったのだ。僕は布団の中で、必死にその呪文を思い出し、復唱していた。
 いつ窓がノックされるかとビビりつづけている最中に、幸運にも頭上に置いたコミック本の存在を想い出した。『ドラえもん』だった。掛布団の中に電気スタンドを持ち込み閉ざされた空間をつくり、その中で僕はドラえもんを読んだ。少しずつ恐怖心が薄れていくのを実感した。そのときにドラえもんとのび太君が与えてくれた安心感、安堵感は、子供ながらに作者に感謝したくらいだった。随分時間が経ってしまったけれど、改めてその節はありがとう、ドラえもん。
 結局妹が誕生したのは、翌日の夜だった。お産では、家族や親族といった周囲でもさまざまなドラマが、秘めやかに繰り広げられている。

投稿者:西原真志  2007.02.02

今日もなんだか

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 「なんだかいいな、これ」。僕が誰かから与えられたいと思うセリフの一つである。料理でも音楽でもどの世界でも共通するが、「上手く説明できないけれど、何か良いんだよね、何か惹かれるんだよね」という感覚的なセリフには、絶対的にウソが無いと思う。そういったものこそが、時代を越えて残っていくのだと思う。
 モーツアルトやベートーベンが時代を越えて愛されるのも、“どこが良いのかの説明が人々に共有されている”からではなく、純粋に“聴く人が良いと思う”からでしかない。説明を伴わなければ“良い”と理解されないものは、結局“良い”ものではないのである。
 僕がそんな視点で「いいな」と思っているのが、作家の「志賀直哉」の作品である。どこが良いのか、いくつか挙げることはできる。しかし口に出すそれ以上のものを、僕は身体で感じていることを感じている。良いと思う理由を口に出した途端、感動的な感覚は一気に縮小する。表面的でない、この体内に残る感覚を、可愛がりながら大切に味わっていきたい。

写真:志賀直哉も見たであろう、千光寺境内の鐘から尾道水道を見渡す風景。

投稿者:西原真志  2006.08.02

睡眠中に見た風景

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飛行機にエンジンをかける。
昨夜は辛かったが、起きてからエンジンをかけた今、まだ悲しみは感じない。
「別れ」を現実として最も強く感じるとき。
--飛行機の車輪が地を離れる瞬間--
自分との別れ。現世との別れ。2度と触れることのない、大地。
もう誰にも会えないことを知る。
裏山や縁側に、おいしいお茶。子供達の遊ぶ音と聞こえて当然の妻の声。
もう会うことはないのだと、心に鍵をかけられる一瞬。

車輪の離れた振動がスイッチとなり、感情のない涙が突如溢れる。

飛行機の調子はいい。
俺の唯一の友だ。最期を共にする親友。
「ごめんな、道連れにさせてしまって。お前も痛いだろうよ」

雲の上に出ると、不思議と再度、悲しみはなくなる。
「お国のために」なんて言葉も関係なくなる。
人間という価値観を超越した、生命としてのただ小さな1カケラとなる。
しかし時に天皇陛下のお顔は浮かぶ。
神かどうかは分からないが、太陽であるとは思った。

青空に燦々と輝く太陽の光が操縦席に降り注ぐ。
ずっと湧きつづけていた涙も止まった。
あたたかい、ハンドルを握る手には生きている徴を感じる。
揺れのない飛行機、無の時間、無の感触が流れる。

無を打ち破る雑音だらけのスピーカー。
「2時の方向へ降下せよ」
いよいよ時が来た。

「ありがとう」

艦隊が見える。蠅のように周囲を舞う仲間達。
再び涙が溢れ出す。理由なんか分からない。
全神経で最も大きな船の舵室を目指す。
船上に外国人隊員達の動き回る様子が見える。

「終わりだ。終わるんだ」
一瞬毎に船が目前に迫る。--人生の残りを距離で知る--
銃弾が身体に当たり痛がゆく、口の中が鉄臭い。--笑いがこみ上げる--
とうとう顔にも当たってしまったようだ。
周囲への視界が一気に狭まり、一点を見るので精一杯になる。
舵をとる老紳士の顔はよく見える。
ずっと彼と目が合っている気がしている。
彼の姿だけが、くっきりと見えている。

いよいよだ。飛行機の限界も近づく。
「もう一踏ん張り頼むぞ」
鉄の不味さを放ったまま、銃弾に煙の血を吐く飛行機をなでる。

「ありがとう」

その瞬間の痛みはなかった。
船長らしき老紳士は男らしく、逃げることはなかった。
初めてくらいの笑いと共に、僕は船の心臓部に飛び込んだはずだ。

さっきまで自分が入っていた、血を流す宿をなでてやった。
「…20年間ありがとう」
もうすぐに、この形もなくなる。

僕の行為で亡くなった外国人が周囲に浮かんでいる。
「俺だって同じ気持ちだよ」
文句を言われても仕方がない。
こうなることは、お互い承知のはずなのだから。
僕は胸を張って昇った。

投稿者:西原真志  2006.02.09

エルメス越え

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ご紋の入った皇室ブランド。
他にも色とりどり、流行の予感。

投稿者:西原真志  2005.12.01

とにかく「お寿司」が食べたかった

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南米に行って参りました。

写真:
・マチュピチュ(PERU)・ティティカカ湖(タキーレ島/PERU)
・コルコヴァードの丘(RioDeJaneiro/BRAZIL)
・イパネマ海岸(RioDeJaneiro/BRAZIL)
・イグアスの滝(BRAZIL)・ナスカの地上絵(PERU)

※来年あたり「筋肉牧場 南米編」開催予定

投稿者:西原真志  2005.01.13